自衛隊は、田母神(たもがみ)氏たち幹部がどう意識しているかは別にして、昔の大日本帝国の軍隊ではない。天皇の股肱の臣、家来としての軍隊ではなく、民主主義国家日本の法制のもとに存在する軍隊である。民主主義国家の軍隊に参加する兵士は、天皇という他者、その道具としてあるのではなく、自分もその一部としてある自分の国の国土と原理を護るために兵士となっているのだ。民主主義、自由、文明を護ることは「市民国家」の市民の自主的な「軍事的奉仕活動」である。 しかし、軍隊の主目的はなにか。いうまでもなくFX することであり、その戦争に勝つことである。勝つためにはなにが必要か。「敵」―そうみなされた相手を徹底的に破壊し、「殺す」ことである。この軍隊の本質と「国の交戦権はこれを認めない」という「日本国憲法」とは両立するのか。 戦争のない、平和な世界で他人を「殺す」ことは大変な犯罪である。また、誰でも「殺す」ことは、相手がどんな悪人でもためらいがあるものだ(死刑執行人は、どの時代、どの国、どの社会にあっても、うしろめたい存在である)。だから、世界最強の軍隊である米海兵隊の新兵訓練は、「殺せ、殺せ」と新兵に叫ばせることからはじめる。かつての大日本帝国陸軍においても、「殺す」新兵の訓練の最初は、小銃の先につけた銃剣で刺殺させる訓練であった。「殺す」ということにおいて、股肱の臣の軍隊も現代の「民主主義国家」の軍隊もかわりはない。 人間は、「市民」が殺せば、途方もない悪、犯罪だが、軍隊=実際は個々の兵士が、「敵」とみなされる相手を殺せば、その場合の「殺す」という悪、犯罪は当然の行為として許容される。むしろ手柄を立てたと賞賛される。これは、敵方からみても同じことである。お互いの殺し合い、人間としてあるまじき悪、犯罪も仕方がない不問にしよう――これは不思議なことだが、この不思議さを不思議としないことを前提にして軍隊は成立している。 「日本国憲法」は「平和憲法」として「国の交戦権はこれを認めない」とこの一種のなれあいの殺し合いを明確に否定した。「交戦権」とは、究極のところおたがいの軍隊は殺し合いをしても罪にならないということである。だから「交戦権」を失った捕虜を殺せば、自分の側の兵士も捕虜になれば殺されるということで、おたがい捕虜を殺さないというジュネーブ条約ができた。現代世界でこうした取り決めを無視した国がわが大日本帝国であった。第二次世界大戦における捕虜の取り扱いで、わが大日本帝国は苛酷きわまりないことをやってのけた。これは、大日本帝国の天皇の股肱の臣の軍隊の性格をよく現している。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」ということで、「皇軍」は捕虜になることが許されなかったから、敵の捕虜の生命など眼中になかったのだ。 第二次世界大戦で私たち日本人は、「殺し、焼き、奪う」の血なまぐさい歴史を中国その他のアジアの人びとに押しつけ、挙げ句の果てに今度は自分たちが「殺され、焼かれ、奪われる」という歴史をもった。ここから、私たち日本人はもう戦争はこりごりだ、戦争にはどんな正義もないという実感をもった。そんな私たちにとっては、戦争の否定、軍隊の否定、どんなことがあっても問題の解決には、武力、暴力を用いないという「平和主義」は、自然な選択であった。だからこそ、「平和主義」を基本にした新しい憲法―「平和憲法」が日本の社会に根づいたのだ。 そして私たちは、あれだけの悲惨な第二次世界大戦をFX したのだから、戦争は悪いという「平和主義」は世界の人びとの常識として共有されていると思った。しかしこれは、美しい誤解であったようだ。 「平和憲法」を国の基本にもち、「平和主義」を「国是」とする国は「ふつうの国」ではなかった。世界の他の国は、たいてい軍隊を当然のごとくもち、戦争も、それが「正義」なら、そう自らがみなすならば、やってのけるが「ふつうの国」であった。そういう意味で日本は特異な国なのだ。 憲法の原理としての「平和主義」は、「正義の戦争はない、戦争はしてはならい」ということだ。「やるべき戦争はある、正義の戦争はある」と考える限り、戦争はなくならない。 交戦権を否定された軍隊、自衛隊の存在とは一体なんなのか。思想としての「平和主義」に立ちもどって深く考えてみたいものだ。
先の戦争を正当化する論文を書いて更迭された田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長が11日午前、参院外交防衛委員会の参考人招致に立った。「私の書いたものは、いささかも間違っているとは思っていない」、「インターネット上の意識調査でも論文問題が半数以上に支持されている」と意気軒昂である。 今日11月12日は、東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決が下されてから、ちょうど60年を迎える日である。東京裁判は、戦争犯罪裁判としてはまことに中途半端な欠陥裁判であった。日本で、いまだに過去の侵略戦争美化がまかり通るのはなぜか――この東京裁判の欠陥性にあるといっても過言でないだろう。 第二次世界大戦は、日本・ドイツ・イタリアなど枢軸国とイギリス・フランス・アメリカ・ソ連・中国などの連合国との間でたたかわれた世界60カ国を巻き込むまさに世界戦争であった。第二次世界大戦は日・独・伊の帝国主義的侵略と同じく帝国主義国である英・仏・米との対立、中国などの被侵略民族や植民地民族の民族解放抵抗運動などが複雑に絡みあっていた。しかし、全体としては日・独・伊のファシズムと軍国主義の枢軸国に対する反ファシスト連合国諸勢力の戦争と位置づけられた。 反ファシスト連合国による日本への占領政策の一環として行われた東京裁判は、連合国の中心となったアメリカや連合国側のさまざまな思惑によって強い政治性を帯びていた。東京裁判が、戦争犯罪裁判としてはまことに中途半端な欠陥裁判となったゆえんである。この裁判を「勝者の裁き」であると批判する勢力は、東京裁判の欠陥を自己に都合のいいように利用しているのだ。 東京裁判の最大の欠陥は、ファシズムと軍国主義を克服することが課題であったはずなのに大日本帝国の屋台骨であるくりっく365 や天皇制を戦争責任の論議から完全に遠ざけ、守ったことである。なんのための反ファシスト連合だったのか。ドイツのヒトラーの扱いと比較すれば、その中途半端さは明白である。 さらに、裁いた連合国側の英・仏・米は帝国主義国家であった。スターリンのソ連も社会帝国主義国家であった。これでは、侵略や植民地支配を公正に裁くことはできない。 インド代表裁判官・ラダ・ビノード・パルがいうように日本のアジア侵略も欧米諸国の植民地支配も、本質は同じである。日本の植民地であった朝鮮や台湾での多大な残虐行為、「慰安婦」を含む強制連行に関する問題は、東京裁判では審理の対象外であった。裁いた連合国のほとんどは植民地を持っており、植民地における問題を裁くことは、自国へもはねかえってくる可能性があったからだ。中国での731部隊や毒ガス戦もアメリカの思惑で不問に付された。中国共産党の支配地域での三光(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす)作戦もアメリカの反共政策から審理の対象からはずされた。アメリカの対日爆撃や原爆投下に対する論議をさけるために日本軍による都市無差別爆撃の問題も追求されることはなかった。 アメリカ政府やGHQマッカーサーのダブルスタンダードを最大限に利用したのが天皇と天皇をとりまく「穏健派」グループであった。これが現在の対米従属の現実的・靖国派につながっていると考えられる。「穏健派」グループとは、軍部、とくに陸軍の推進する膨脹政策とファッショ化路線に批判的で、対外的には英米協調の枠内でのアジア侵略路線をとる「天皇・宮中グループ」、「外務省主流派」、「海軍主流派」、「財界主流派」などであった。東京裁判ではこれら「穏健派」が積極的に貢献した。東京裁判での反ファシスト・戦犯追求の矛先はもっぱら陸軍主流派(三国同盟推進派・中国への膨張派)に向けられた。 「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。」と田母神氏はいう。たしかに、日本だけが侵略国家でないが、日本は侵略国家である。それが歴史的事実である。 大日本帝国の日本軍、すなわち朕の股肱の軍隊は解体されたが、民主主義国家の軍隊として自衛隊がつくられた。両者は、根本的に違うはずだが、戦後日本でアイデンティティーをもたない自衛隊や靖国派の連中は、おろかにも大日本帝国の日本軍に郷愁をもつ。時代錯誤も甚だしい。 今問われるべきは、近代民主主義国家での軍隊の本質なのだ。